カテゴリ:
一昨年から、縁あって時計雑誌の編集者・ライターの方々とお話しする機会が、ぽつぽつとあった。

もちろん彼らはプロフェッショナルなので時計の知識はすごいし、書いている文章もとても勉強になるし、ちゃんと事実を裏どりして書いてくれているので安心である。

そして、実際にお会いして話をしていたら、書物に書いてあることの数倍濃いお話をしてくださる。つまり、彼らの経験や知識をオレンジジュースのようにぎゅっと絞って絞って、いろんな事情で出せないものを取り除いて、きれいにパッケージングして値段をつけたのが、我々が目にする彼らの『仕事』である。

しかし、これって凄いことだよなあ、大変な仕事だよなあ、といつも思うわけです。

何故なら、彼らは誰よりも時計に詳しいかもしれないが、きっと時計好きの誰よりも、『自分の好きな時計』に拘る事ができないと思うから。

il2
(手がおかしいのはAIのせいです)

どういう事か。

彼らの仕事は日進月歩で進化し、目まぐるしく情勢の入れ替わる時計業界の最新情報を常にとらえておく必要がある。ので、常にアンテナを高くかかげ、膨大な情報を処理し、新しいことや人に取材をし、記事化する必要がある。時計業界で最新情報を幅広く常に追い続けるって、どれだけ大変なことか想像がつくだろうか?

自分の好きな時計、ひょっとしたら自分の持ち物についてすら、振り返ったり、ゆっくり愛でたりといった暇もないのではないだろうか。そして、会社もそんなものは求めない。なぜなら、読者にとって価値がないから。

たぶん、自分の苦手な分野についても情報を追い、取材し、記事化し、その記事について誰かに怒られないといけない。その度に「こんなもの俺だって書きたくないよ」と、心の中でだけ呟くしかないのかもしれない。

もしも自分がただの時計好きなら取り上げもしない、目もくれない、自分にとって全くどうでもいい時計についても、だれがどういう意図で発売し、どう出来上がっているか、どの写真が一番マシに見えるか、噓をつかない程度にどう魅力的に書くか…というのに頭を悩ませる必要もあるのだろう。

そしてもちろん彼らは公平な立場からものを書く義務があるため、自分が好きなブランドを感情をこめて賞賛するような文章を書くことができない。いや、ひょっとしたら少しはあるのかもしれないが、そうすると今度は他方から文句を言われることを覚悟しなきゃいけない。

P1200115
(最近買ってOHしたSEIKO 45-7000。精度が異次元に素晴らしい。もちろん本文とは関係ない)

きっと、彼らの真似なんて誰にでもできるものではない

時計が好きだからという理由でやってみようとしてもすぐにやめたいと思ってしまうんじゃないかと思う。少なくとも僕には、手持ちの愛すべき時計たちを端において、そんな時計たちを眺める間もなく最新の情報を逐一追って行って調べなきゃいけないなんて、とてもじゃないが無理だ。

じゃあ、僕と、編集者の方々は何が違うのか?

思うに時計雑誌の編集者とは、『自分の好き』を犠牲にして、まだ未知のもの、いつか誰かの『好き』になるものの探索に身をささげている、いわば『殉教者』のようなものなのかもしれない。だからこそ、大人な時計愛好家の皆様から、尊敬の念をもって迎えられ、賞賛され、慰労されていると思うし、もっとされて欲しいと思っている。

彼らが探索を行ってくれるから、それを市井の時計愛好家が活用し、愛すべき時計を新たに発見し、学び、ゆっくりと自分のコレクションを楽しむことができるのである。たぶんこれは時計だけじゃなく、もちろん、音楽雑誌や、クルマ雑誌の編集者にも通じる事なんだろうなあ。

僕は彼らに敬意を抱いている。そして直接お会いして、なおさらその思いを強くした。


願わくば、世の時計愛好家の皆様も、彼らの仕事への対価としてお金を払うことで、つまり本を買うことで、その思いを示してほしいなと思う次第でございます。そして彼らの会社には、高騰するスイス時計のように彼らの給料を毎年5パーセントとか10パーセントとか上げていってほしいなと、思うものです。


※余談ですが、以前ある時計雑誌編集者の方と飯を食いに行くのにクルマを運転した事がある。そのとき、毎日時計漬けで疲れているだろうから、何か時計以外の、気が楽になるような話題がないか探していて少し言葉に詰まってしまった。そしたら、先方から、ヨーロッパで取材した時計メーカーの未公開の話をしてくださった。きっと、僕が知りたそうな情報を選んで口にしてくださったのだろう、申し訳ないなと思うと同時にこれがプロなんだなあと感心させられたのでした。